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I LOVE STICK

貼るか! 貼られるか!

子供がいると、大変なことの一つにステッカーやシールを色んなところに貼られてしまうということがある。貼られれば剥がせば良いだけだが、これがまたシールの粘着の種類と紙質によって、そう簡単には剥がせない時がある。この粘着と紙質次第で、綺麗に剥がせて浮かれるか、剥がさない方が良かったと後悔をするかが決まる。

剥がさない方が良かったと後悔をする状況を例えて言うなら、海外などの旅行先で、知り合いや家族に土産を買った商品に値段シールが付いたままで、一つずつ剥がさなくてはならない時がある。上手く剝がれれば良いけど、シールが途中で切れて、紙が残ってしまうもの。はたまた剥がせたは良いが、糊がパッケージに残ったままでベトベトしてしまう。そのベトベトを取るために擦れば、擦るほどベトベトが広がり、最終的にパッケージが擦れてシワになったり、表面が剥げてボロボロになる。といった状況を誰もが経験したことあるのでは無いでしょうか。

そんな様々なシール達が家の中の様々な場所にあったらどうでしょう?しかも、なんでこんなところに? や全くセンスの無い場違いなもの
貼るわ、貼るわ、色んなところに、ま〜貼るわ。
しかも、我が子はチームワークが良い。作業が勝手に分担されている。勿論分担作業を教えたことは無い。

長女がどこからともなくシールを持ってくる。雑誌の付録や、学習キットのサンプルや、教育関係のDMに入っているおまけなどなど。。。それらのシールを自分で絵を描いた自由帳やぬり絵に貼って遊んでる。とりわけこの時点では特に被害は無い。

次に次女が、長女の貼ったシールをいつの間にか剥がして、絵本やおもちゃに貼り直す。この時少なからず被害が出てくる。絵本の肝心な部分にシールががっつり貼られて、文字が読めずに、ストーリーを失った絵本が誕生したり、シールだらけで扉が開かない人形の家のおもちゃが生まれる。

まるで、落書きだらけの廃墟のようなシールだらけの人形の家の誕生だ。(参考写真)

もはやグラフィティーアートだ! グラフィティーアートを知らない近所のおばちゃん達が一生懸命壁のグラフィティを消す掃除をするように。僕が次女の人形の家のシールを剥がしていると、「剥がさないで〜」と怒られる始末。なぜ?
グラフィティを掃除をするおばちゃん達もそうなのか? 怒られてしまうのか? グラフィティーアートはジャンルを問わず市民権を得たのか? どれもがその価値を保護されるようになってしまったのか? banksyのように・・・。
*(バンクシーBanksy, 生年月日未公表)は、イギリスを拠点とする匿名のストリートアーティスト、犯罪者、政治活動家、そして映画監督。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/バンクシー

結局、怒られるので、剥がさないでそのままにしておくと、三女が、次女の貼ったシールを見つからないようにさりげなく剥がして、ハサミで剥がしたシールを細かく切っていく。細かく切ったシールを壁や、床、テーブルに貼り散らかす。まさかの最終工程だ! この時、床に貼ったシールは、上を歩くみんなの体重が掛かることで、粘着力の力を十分に発揮して剥がれにくく、剥がしてもベトベトな最高の仕上がりとなる。

ここまでくると、怒らずにはいられない。三女を呼び出し説教開始だ!
ハサミを使うな!だの、シールを壁や床に張るな!だの、シールを剥がせコノヤロ〜!だの・・・。長女と次女は知らない顔してテレビ見てる。。。
三女が一人でシールを剥がして片付けをする。 なんだか三女がかわいそうに思えてくる。。。これが我が家のチームワークだ。

House papa

三女が壁のシールを剥がす時に、笑顔で壁紙も一緒に剥がすのは、小さいながらも大胆な反抗なのか?

剥がされた壁紙もまたグラフィティに似たカオス感がある。。。
強者どもが夢の跡・・・。